2008年01月26日

読書 レベルテ著『ナインス・ゲート』236冊目

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今回は、アルトゥーロ・ペレス・レベルテ著
『ナインス・ゲート』を紹介する。
集英社文庫から2000年に刊行。
ジョニー・ディップ主演で映画化されたが、
その原作本である。
映画と原作のストーリーは、ほぼ同じ。
映画は、やはりヒットはしなかったものの、
古書を扱った映画は少ないので、
映画化されただけで良しとしなければなるまい。
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2008年01月19日

ホラー映画78 『2001人の狂宴』(2005)

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今回はホラー映画 『2001人の狂宴』を紹介。
88分。アメリカ制作。(原題は2001 MANIACS)
ルイスの『2000人の狂人』(1964)のリメイク作品。
私はまだ若い頃にルイスの『2000人の狂人』を見たが、
やはり古臭くてガッカリした記憶がある。
しかし本作品のリメイク作品はグロシーン満載であり、
まあまあ満足出来る、出来になっている。
しかし優良までは評価は出来ずレンタルしても損はない程度、
そこそこ楽しめる作品である。

2008年01月12日

おすすめの本 『書物愛 蔵書票の世界』 235冊目

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本と版画美術への愛から生まれた自分だけの
蔵書のしるし、「蔵書票」。
その歴史、具体的な制作法、
蔵書票作家を紹介するミニ事典、
さらに、つきない魅力を存分に語るエッセイから、
西欧のエロティックな逸品
・美しいお宝作品紹介まで、
至れり尽くせりの蔵書票入門。
小版画図版一四〇点収載、超お買得。
本好き、愛書家、読書人、待望の一冊。
(本書の紹介文より抜粋)

今回は、日本書票協会(著)『書物愛 蔵書票の世界』を紹介する。
(平凡社新書)2002年刊行。
至れり尽くせりの蔵書票入門、小版画図版一四〇点収載、
超お買得と有る様に、正に蔵書票とは何ぞやと思う時、
本書は格好のテキストになるはずである。
それ程に、大変良くまとまっている。
本書の第三章「蔵書票を楽しむ」の執筆人も又素晴らしい。
山本茂樹、気谷誠、田中栞等が蔵書票について語っている。
同類の本、樋田直人著『蔵書票の美』よりも
本書の方が(私見では有るが)バランス良くまとまっていると思う。
『蔵書票の美』よりも本書を薦めたい。
しかし、こういった趣味は特殊な分野であるので、
決してブームにはなりやしないだろう。
(切手やコイン蒐集の様に、万人に敷居が低い分野とは、とても言えない)
蔵書票蒐集家は今後、減りはすれども、決して増えやしないだろう。
本体の書物自体に関心を持つ人が少なくなり、
読書人口も、また古書蒐集人口も年々減っているのだから。
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2008年01月05日

最低最悪の駄作映画77 『アイ・アム・レジェンド』(2007)

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1954年に書かれた、鬼才リチャード・マシスンの
小説『アイ・アム・レジェンド』の三度目の映画化作品である。
評価はゼロどころか、マイナス。
最低最悪の究極の駄作映画である。
もし、これが宿題なら全面的にやり直しを
(私が先生なら)命じるだろう。
最大限に期待をして見たせいか、脱力感も最大であった。
SFの古典的名作を、ここまで台無しにしての映画化なんて、
原作者リチャード・マシスンに対する、最大の侮辱である。
ここまで駄作にするのは一種の才能である。
ここまで最低最悪の改悪にするのは、なかなか出来ない。
リメイク映画のタイムマシンに匹敵する位の駄作である。
いくら映画だとは言え、矛盾点ばかりが目につく。

一番悪い点は、原作の「アイ・アム・レジェンド」の題名の
意味が変わってしまった事だ。
原作の「アイ・アム・レジェンド」の意味は、
自分自身が、吸血鬼にとっての”伝説に怪物”と
なっていたという意味である。

原作の最後の文はこうである。
田中小実昌訳「地球最後の男」(早川文庫)
”おれは、今では、伝説の怪物なのだ”
地球最後の人間である、ロバートが(怪物の)吸血鬼を狩る。
しかし吸血鬼から見るならば、地球最後の人間であり、
ロバートこそが”伝説の怪物”として恐れられている、
これが原作の題名の意味である。
しかし、今回の本作品の「アイ・アム・レジェンド」という
意味は人類を救った英雄、伝説の人物という意味で使われている。
そこに激しい違和感を私は感じる。
映画の後半に、女が登場し、(原作にも前作にも登場した)
敵のスパイと思ったが、違ったので、
そこで、また肩透かしをくらった。

それに、この映画には全くリアリティを感じない。
映画に重要なのは、リアリティである。
これが無いとコメディになってしまう。
いくら映画だとしても主人公の行動は、
軽率であり、まるで殺されたくて仕方がない様に見える。
生き残る気が真剣に有る様には思えない。
警戒心も危険予想もなく、装備も不十分である。
行動自体もとても(医療技官とは言え)軍の人間とは思えない。
まず装備にしても、軍用車を使っていない。
装甲車(戦車)も入手出来る筈である。
また飛行機もヘリコプターだってあるし、
操縦を勉強する時間はいくらである。
吸血鬼が活動する夜間や暗闇に
暗視鏡(ナイトビジョンNight vision)
を使えば、効率的に一掃出来るだろう。
前作の『地球最後の男 オメガマン』(1971)では、
暗視鏡を銃につけて、吸血鬼を退治していた。
軍用車を使わないにしても、暗視鏡位は装備出来るはずである。
また、ラジオを使っての生存者の捜索は効率が悪い。
飛行機もヘリコプターを使い、広範囲に、また効率的に捜索出来る。
原作では、ロバートは医学には素人だが、
必死に勉強し、ワクチンを開発しようとしていた。
それと同様にいくらでも自分で研究や勉強は十分可能である。
もし、私だったら、生き残るために何でも勉強するだろう。
勿論、医学さえも勉強するだろう。
出来るか出来ないか挑戦するだけの価値は
充分有ると思う。時間はいくらでもある。

また犬を追い、ビルに無防備に入るには、正に自殺行為だ。
もし私ならば、事前にビルの窓を割り、
日光がビル内部に差し込む様にしておいてから、入るだろう。
(不充分な装備では、最初から入ろうとは決して思わないが)
犬は飼わない方が良いと思う。
まず自分が生き残る事が先決であり、
動物の事を気にかける程余裕は無く、隙が出来るからだ。
もし、犬を飼っていて、あの様な状況になったならば、
私ならば、見捨てるしかないだろう。
危険を犯す訳にはいかないからだ。
最優先は、生き残る事であるからだ。
DVDレンタル店の場面にしても、
連日、通い続けるよりは、いくらでもDVDを
自宅に運ぶ事が出来たはずだ。
いちいちDVDを店に返す必要は、どこにも無い。
またマネキンを配置し、それに話しかける等馬鹿げている。
私ならば、名画を自宅に飾るよりは、
食料や医薬品や武器弾薬、実用書(或いは
映画のDVDも必要ならば)を自宅に大量に備蓄するだろう。
その状況下において、役に立つ実用品の方が先決である。
それに、あの様な状況で過去の人類の遺産である
映画を見る気にはとてもなれない。
恋しくなったり、寂しくなり、精神衛生上良くないからだ。
娯楽も必要だろうが、昔を思い出す様な事、
今、現在の孤独を再認識させるような
無意味な行動は私は避ける。

もしマネキンが移動されていたならば、
私ならば、警戒して、すぐには近づかない。
近づくのは安全が100%確認出来てからである。
マネキンが一人で移動する訳が無く、
何故、移動しているのか。
それには理由が絶対ある。
普通は敵の罠と考える。
敵以外の人間の生存者のサインとは考えにくい。
その様なサインよりも、もっと具体的なサインを
送るだろうし、そう推測するのは自然だろう。

また敵につけられて、アジトを攻撃されるのを
回避する事は確かに大切だが、
それを踏まえて、もしアジトがばれた時の
対策が不備である。
一応アジトの周辺に爆薬を仕掛けていたが、
あれだけでは不十分である。
トラップを仕掛ける場所も時間も有るのだから、
何十にもトラップを(念入りに)仕掛ける事が出来たはずだ。
のんびりとゴルフをやっている時間が
有るならば、出来る筈である。
また武器を家中に配置しておくべきだろう。
敵は武器は使えない筈なので、
そこらじゅうに置いてもかまわない。
あそこまで主人公の行動が無用心で愚かだと
3年も生存出来たのは奇跡に近い。
それこそ、一番リアリティが無い。
敵を恐れるならば、敵が活動できない昼間に
(敵は決して無限に増殖していくのではないから)
出来るだけ殺しておくべきだ。
それが結果として、自分の安全の確保にもつながる。
それをしないにも怠慢に思えた。
武器、資材、材料、車両等がいくらでも使い放題なのだから、
いくらでも出来るはずだ。

また原作の怖さは、自分のかつて隣人や妻さえも
吸血鬼になって、主人公の目の前に現れる点にある。
主人公は正常な男性なので、当然性欲がある。
そこに吸血鬼の女が現れて、わざと”女体”を誇示させて、
欲情させる場面もある。当然、主人公は葛藤する。
そこで登場するのが、敵側のスパイとして、
送り込まれた”女”である。
男は怪しいと思いながらも、女の罠に嵌るのである・・・。
原作は、そこで悲劇的な結末を迎える。
それがこの原作をSFの名作と言われている所以である。
原作は、練りに練り上げて書かれており、
決して、本作品の様に粗が目立つ代物では決して無い。

回想シーンも、また映画シュレックのシーンも無駄に思える。
ウィル・スミスに主人公を演じさせるよりも、
もっと適任がいる様に思える。
例えば、カート・ラッセル等が適任だと思う。
彼こそは戦う男、そのものである。
まあ、この映画の駄目さを書いていたら、
いくら時間があっても足りないので、
この辺でやめにする・・・。
本作品は、褒めるところが一つも無い、
完璧なる駄作、完璧な失敗作である。
チャールトン・ヘストン主演の前作の方が
原作に忠実で、本作品より良く出来ている。
本作品が公開前に、TV放映が有っても良かったと思う。
それを見たならば、本作品が原作とは全く異なる、
別作品だと認識出来るだろう。
これほど期待を悪い意味で裏切った作品は無い。
原作は名作であり、素材も良いのに、
ここまで駄作に作り上げるのには驚嘆する。
この映画は駄作、つまらない映画として伝説となった。
posted by zola at 05:27| Comment(0) | TrackBack(0) | SF映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする