2009年07月17日

誰が猫の首に鈴をつけるのか? 映画『ワルキューレ』

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アメリカ映画。2008年制作。120分。
違和感を覚えたのは、アメリカ映画に特有の、ドイツ人でありながら
英語を話す事。やはり、ヒトラーもドイツ軍人もドイツ人という者は
ドイツ語を話すと言う事が当たり前に脳内に刷り込まれているので、
どうしても違和感を感じてしまう。
世界でもっとも英語の他の言語に一切の興味も関心も無い、アメリカ人は
そういった違和感を感じないのか?漠然とした、疑問を持った。
毎年、こういったヒトラー物、第二次世界大戦物が作られている。
もう、既に70年近く前の出来事なのに。
今、戦争を体験し、従軍した兵士の中で生き残っているのは、
戦争当時、何もわからない新兵が多い。
(ベテランや古兵は既に死んでしまっている)
先日の7月13日ドイツ検察当局は、ユダヤ人らの殺害に関与したとして、
元看守のジョン・デミャニューク容疑者(89)を起訴したが、
今ではヨボヨボの爺様で、いつお迎えに来ても可笑しくない、
89歳の老人を起訴してどうなるのだろう。
反ユダヤ活動監視団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」は、
生存しているナチス関係者の中で最重要容疑者に指定していると言うが、
大物は全て捕まって処刑されたか、自然死していまい、
今、捕まえることが可能なのは、小物しかいないのだろう。
殺害の関与の疑いといっても、終戦時たかだか25歳の若造には
たいした権限も無いだろう。

ヒトラーは過大評価されている様に感じてしまう。
ヒトラー一人を暗殺しても、そう簡単に何もかも覆るのだろうか?
ヒトラー一人で戦争をしている訳でもないのに。
肥大しすぎた組織は既に個人一人だけではコントロール出来ない。
計画は本当に無謀に思える。失敗する要素が有りすぎる。
シュタウフェンベルク大佐本人は覚悟していただろうが、
巻き込まれた人はたまったもんじゃないなと感じた。
暗殺が失敗したら、関係者は有無を言わさずに当然処刑されるのであるから。
ヒトラーは似ていない。もっと似ている役者、
例えば、「ヒトラー 〜最期の12日間〜 」のブルーノ・ガンツを使って欲しかった。
ドイツが戦争に負け、ナチスドイツは完全に崩壊したが、
今なお、ナチスの亡霊とも言うべき、ネオナチズムが台頭し、
世界各地でネオナチが誕生している。
ナチズムの根本にあるものは差別であり、差別化であり、区別化である。
それは優劣であり、他者の比較によって行われる。
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2009年07月16日

懐かしい漫画 回転禁止の青春さ 江口寿史『ストップ!!ひばりくん!』

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これでコンプリート!未収録作も収めたひばりくん完全版
1巻の表紙にはギターを携えた、涼しげなひばりくんが描かれている。
江口寿史の「ストップ!!ひばりくん!コンプリート・エディション」が
小学館クリエイティブから全3巻で刊行されることが決定した。
1巻が7月17日に、2巻および3巻が今秋以降に発売される。
今回発売される完全版には既刊の単行本や文庫版に
未収録の作品のほか、雑誌掲載時のカラーを完全再現したページが
収められている。表紙はもちろん、江口による描き下ろしだ。
「ストップ!!ひばりくん!」は江口が1981年から1983年にかけて
週刊少年ジャンプ(集英社)で連載していたラブコメ作品。
美少女にしか見えない男の子、
大空ひばりを中心とするドタバタギャグで人気を博した。
(コミックナタリー2009年7月14日 20:22より抜粋)

今となっては懐かしい漫画である。
私の青春まっただなかに連載されていたものである。
青春とは恥ずかしいものである。青春とは赤面することである。
年は正確には覚えていないが、確か1982年頃辺り、
この漫画に登場する、(若者全員が被っている訳では勿論無いにしても)
パナマ帽は確実に流行っていた。
この漫画が発売された週は夏であり、パナマ帽を買った時のことを覚えている。
あの夏、原宿の竹下通り等では、このパナマ帽をどこの店でも売っていた。
確か980円〜1000円だったと思う。
今だから言うが、懐かしくも恥ずかしいのだが、私も思わず買ってしまいました。
(この「思わず」というフレーズは後日北野武がTVで連呼するようになる)
買った時の服装までは完全には思い出せないが、あの頃はTシャツよりも
シャツを好んで着ていたので、プリントされたアロハシャツみたいな
DCブランド系の半そでのオシャレなシャツを着ていたと思う。
靴はコンバースか、プロケッズのバッシュで、靴下は文化屋雑貨店系の靴下か、
DCブランド系の靴下を履いていた。それにEDWIN辺りのジーンズですね。
どこにでもいる高校生でした。(勿論、当時フランスという国に興味は1%もありません)
(今では恥ずかしいことに、サングラスも夏には時々していました)

江口寿史は昔から絵が上手いと思っていた。
25年以上経過した、今でも充分通用する絵であり、とてもセンスが良い。
当時、江口寿史はオシャレで、センスが良いアンちゃんとイメージがあったように思う。
この『ストップ!!ひばりくん!』は確か4巻目で未完結で終わっているし、
江口寿史自身の大人の事情で完結しないまま休止になったと記憶している。
つまり、『ストップ!!ひばりくん!』は未だに完結はしていない。
今の時代にはそぐわないし、未完なら未完もままで良いんじゃないかなと思う。

いつも思うことだが、女と男の違いというか、手術しても誤魔化せないものは
声と尻、腰の大きさだ。これはニューハーフでも女のようにはなれない。
ニューハーフ化する上での最大の難点なのではないだろうか。
声は何とか誤魔化せても、最大の難点は腰というか尻だ。
女の尻は男に比べて、とてもデカイ。あの女の尻、腰のデカさが
女特有の美しいくびれ、美しい曲線を作り出す。
どんな女でさえも、どんな小さな女でさえも、男の尻よりは大きい。
女から見れば、どんなデカイ男であっても女の尻よりは小ぶりだ。

昔の夏は、今よりも暑くは無かったと思う。30度を超えたら猛暑であり、
公園の噴水で遊ぶ子供の映像をまじえた、ニュースになっていた。
滅多やたらには30度を超えなかったと記憶している。
今は、30度超えはむしろ当たり前ですね。

*江口寿史のお気に入りのフレーズはやはり「それだけならまだいいが」

**コーコー時代といえばYO
駅の改札付近で毎日コーコー生の俺らと
すれ違うつーオールバックの婆がいて、
そのオールバックが妙に高いの。
アレは15cmを軽く超えていたと思うんだが。
それでさ、俺らコーコー生はYO
「来た!来た!」
「あの婆がまた来た!」
「見た?アレ見た?」
「今日も高いな〜」
「何センチあるんだYO」
「すげえ!」
「高い!高すぎる!」
「今日も一段と高いな!」
とか皆言い合うんだが、俺も実際すげえ高いなって思って、
必死に笑うのをこらえていたのをまるで昨日の様に思い出します。
(あの当時、あの婆が仮に55歳だとして、もし生きていたら80歳)
あと、コーコーの時と言えば、今でも忘れられないのは、
どう見ても軽く70歳超えだと思われる婆が
黄色のミニスカートをはいているのを目撃した経験だな。
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2009年07月01日

洋古書 エルアールの代表作『エプタメロン』

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今回は、アールデコ期にフランスで活躍した、
挿絵画家シェリ・エルアールの代表作であり、
最高傑作であり(Pochoir技法の挿絵をふんだんに使った)
最大の挿絵本である、マルグリット・ド・ナヴァル著『エプタメロン』を紹介する。
(本書は私のお気に入りである)
『エプタメロン』の主軸となるテーマは愛である。
男女の愛や情を軸に語られた物語集である。
シェリ・エルアールの主な活躍の舞台は、
雑誌「ラ・ヴィ・パリジェンヌ」誌であるが、
単行本でのエルアールの最高傑作は、本書の『エプタメロン』である。
本書はParis, Javal et Bourdeauxから1932年に刊行された。
Quartoの大型本で全4巻。
総シャグラン革。美麗箱付。元表紙保存綴込。極美本(新品同様)
(挿絵は昨日作られた様に今でも鮮明である)
本書は当然、元愛書家の持ち物であるが、
やはり読んだ形跡はどこにも無く、
本書を装丁した者よりもページを捲る回数が少なかったと思われる。
(高価な茶道具を使う事無く、鑑賞するのみと同様である)

シェリ・エルアールの謎に満ちた人生は誠に興味深い。
彼はどんな人生を送ったのか?
エルアールは膨大な数のイラストを残して死んだ。
生きている間に、描くだけ描いて死んだ様な感じだ。
好きだけではとても出来ないレベルの膨大なイラストの数である。
彼の人生は、パリ娘の生活を描く事と中世フランスの世界を
描き続ける事であったと思う。(エルアールの別名義でのSM画を除く)
彼にも子孫がいるはずだが、今、どこでどうしているのか?
バルビエやブルネルスキやマルティやラボチェッタなど
彼と同時代に生きたフランスのイラストレイター達には謎が多い。
本書は、総発行数1550部の内、
アルシェ紙に刷られた限定150部の内の一冊。
この限定150部はカラー以外に、セピア色と青色の2種のsuite付。
("本書の限定150部、それに限定40部の局紙"のものなどは、
なかなか市場に出る事は無い。極めて稀。稀覯本)
箱まで装丁家に注文し、作らせる事は稀であり、
それも大型本の複数の箱を注文することは、さらに極めて稀である。
装丁はジャンセニスト装であり、飾り気が無いので、物足りなく感じる。
装丁家の栃折久美子や(彼女の著作「モロッコ革の本」に登場する)
チェケルール先生が好みそうな装丁である。
(栃折久美子著「モロッコ革の本」から抜粋)

『(チェケルール)先生は「お前はどんな本を美しいと思うか」と私に聞いた。
「よく選ばれた材料を使った、確かな仕事、無駄な飾りのないもの」
「私もそう思う」』

私がいかに、栃折久美子著「モロッコ革の本」に登場する、
ベルフロアさん系の装丁を好むからと言っても、
本というよりもオブジェと化した物体は好きじゃない。
手入れが難しそうで、扱いにくそうに感じるからだ。
本書は当然パッセカルトンであり、開きにくいが綴じは堅牢である。
(フランスの機械製本ではない、古典的な装丁はパッセカルトンである)
日本においての機械装丁はすべてブラデルであり、
開きやすい反面、背が割れやすく、背が外れやすい
という難点を持っている。
それは機械製本のイギリスやアメリカも同様であり、
イギリスやアメリカの機械製本の古書を見ると、
背が割れていないものを見つけるのは難しい。
フランスのパッセカルトンは開きにくい反面、
背は割れにくく、百年間以上硬く綴じる事が出来る。

本書の印刷はパリから程近い、アルジャントゥイユにある、
Robert Coulouma印刷所で行われた。
Robert Coulouma印刷所は第一次大戦頃から第二次大戦頃にかけて
数々の有名な挿絵本が印刷されたところである。
(歴史に残るほど高名な印刷所である)
例えば、バルビエの「Le roman de la momie」や「L'escapade」などが
このRobert Coulouma印刷所で印刷されている。
本書の挿絵は(エルアールが得意とした)中世の世界を見事に描き切っている。
本書はエルアール無くば、決して成立し得なかったし、
エルアールで無くば、とても表現し切れない世界である。
webでは、本書の挿絵の素晴らしさを充分お伝え出来ないのは残念である。
作られてから70年以上経過しても、いまだに退色せずに鮮やかな色彩であり、
実際に手にとって見るとその挿絵の発色の素晴らしさ、見事さに驚かされる筈。
(それほどweb上の写真と実際の挿絵ではまるで違っている)

本書の挿絵はPochoirだと思われる。
ダニエル・ジャコメによる、ジャコメ工房によって、本書の挿絵は制作された。
ジャコメ工房のPochoirは、ダニエル・ジャコメ独特の創意工夫がなされており、
ジャコメ工房のPochoirの完成度はIMPRIMEUR D'ARTと言わしめるほど、
極めて高いと頗る定評があり、Pochoirでは最高のレベルだと言われている。
その高い技術力と評価は今なお不動であり、
ちなみにピカソ・ミロ・マチス・シャガール等のPochoirもここで制作されている。
ただ技法云々よりも、、私は大変気にいっているので、
どんな技法でもかまわないと思っている。
滑稽な事に、趣味で非ずにして、それにて生計を為す、
言わばプロフェッショナルと言うべき、日本の某古書店の記述では、
ジャコメ工房制作のPochoirを石版画と堂々と記載している店が存在する。
多くの日本人は(オークション等の傾向を見れば)リトグラフが
大変お好きの様だが、銅版画以外ならば、
何でも石版画と思い込むのは無知であり、それは早計と言うものだろう。
Pochoirと石版画では、質感が違い過ぎる。
間違いようがないはずだが、これをどうして間違えるのか。
知識は邪魔にならず、何事も一生勉強だと常々思うが、
そうは思わない輩もいるようである。
ジャコメ工房のPochoirは日本人には馴染みが無いと言っても
過言ではないが、フランスのアールデコ期の挿絵本には
ジャコメ工房のPochoirがよく使われている。
(判りやすい事例を挙げれば、例えばマルティ等)
ムルロー工房は、誰でも知っている。
このムルロー工房こそ日本では一番知名度が高い、
フランスの工房であろう。
しかしフランスの工房はムルローだけに非ず。

先述のPochoirと石版画の勘違いは、まだ良い。
日本のオークションはこれよりも酷い。
勉強している人は確かに存在し、稀に博識な人物もいるにはいるが、
逆に、問題が多い人も沢山いる。
調べても判らない事と最初から知らない事は別だ。
判らないならば、堂々と判らないと言うべきである。
*特に海外在住の日本女が売っている雑貨が酷い。
(商品の説明の記述に相当な間違いがある)
海外移住の日本女達は、どうやら蚤の市なんかで
仕入れてくるようだが、文字通り蚤の市であって状態が最悪の物が多い。
状態が悪くても値段が安いなら、まだいいが、
蚤の市は必ずしも価格が相場よりも安いとは決して言えない。
悪かろう高かろうであり、良いものは原則的に蚤の市には流れない。
例外はあるとしては、例外は決して普遍ではない。
奇跡は滅多に起こらないから奇跡なのであって、
掘り出し物は滅多にないから、掘り出し物と呼ばれる。
女で古書マニアはいないし、外国に移住するような、
外国(欧米)かぶれの日本女で、本格的な古書マニアや
本格的な歴史マニアはいない。
(そもそも、それ以前に女に本格的な古書マニアは、
少なくとも日本においては存在しない)
完全に外国語を学ぶか、古書を学ぶか、二つに一つだ。
両立するのは不可能に近い。
(外国語を学ぶのに、学ぶ場所や施設や学校は存在するが、
古書を学ぶところは存在しない)
ネイティブ並の外国語が出来る人に本格的な古書マニアはいないし、
本格的な古書マニアで、ネイティブ並の外国語が出来る人はいない。
しかしネイティブ並の外国語が出来ずとも物は買う事は可能だ。
外国人も商売だ。金を払うならば、いくらでも売る。
しかし、逆にネイティブ並の外国語が出来ても、
古書の知識が無ければ、良い本は決して買えない。
日本語が出来ても、日本の骨董の知識が無ければ、
(悪い物を避け)良い物を買うのは難しいと同様である。

日本において、エルテやイカール(或いはローランサン等)は
他国では考えられないほど異常に人気がある。
これは疑問なのだが、日本には(他国と比較し)突出して
それらのファンが相当多いようだが、そのファンは、
雑誌「ラ・ヴィ・パリジェンヌ」誌上で活躍した、
エルアールなどのイラストレイター達を網羅熟知し、知り尽くした上で、
敢えて、そこは敢えて、わざわざエルテやイカールを選んだのか。
それとも知らぬが故に、それを買うのか。
或いは知っていても無視を決め込んでいるのか。
携帯電話の世界でも、日本の携帯電話はガラパゴス諸島と
言われているが、美術コレクターの世界ではどうなのだろうか?
日本人の美術コレクションは欧州とはかけ離れ過ぎており、
独自性が強く、(ただ闇雲に名前だけに固守し)
強迫観念に近いものが有るように思われてならない。
それにばらつきが少なく、どこを見ても何を見ても同じに思える。
(それは土産物屋の金太郎飴を見るようだ)
アメリカ人が咳をすれば、日本人も咳をしだすように、
美術収集傾向ですらアメリカに迎合隷属しすぎるような気がしてならない。
しかし世界はアメリカ(或いはイギリス)だけで構成されている訳ではない。

*西班牙語を仏蘭西語と間違えたり、洪牙利語を露西亜語と間違えたり・・・。
何語で書かれているのかすら知らないで売る者も数多くいる。
売る方も売る方だが、買う方も買う方だ。
書かれている日本語も不自由で、また外国語も疎く、
歴史や地理や文学や古書や雑貨にも疎い。
彼女達は一体何が専門なのでしょうか。
posted by zola at 19:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 洋古書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする