2009年12月19日

一目見ただけで、こいつは嫌な奴って判るよな?映画『イングロリアス・バスターズ』

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(原題Inglourious Basterds)
2009年アメリカ・ドイツ制作。153分。
娯楽に徹した映画だ。大変良い映画で満足した。
2時間半に及ぶ長い映画だが、面白かったので、長いとは全く感じなかった。
冒頭のシーンから緊迫感があり、ハラハラしっぱなしだった。
ドイツのハンス・ランダ親衛隊大佐(クリストフ・ヴァルツ)を
一目見ただけで、コイツはヤバイわ・・・関わりたくない奴だなと
0.5秒で把握した。ランダの威圧感は凄い。
『宮廷画家ゴヤは見た』のハビエル・バルデム演じる、
ロレンソ神父も嫌らしかったが、ランダもまた嫌らしい。
何から何まで気に触る。ランダの何もかもが気に入らない。
クリストフ・ヴァルツなる、オーストリア出身の役者が
ランダを演じているのだが、この人しかランダは演じられない。
正に適任だ。よくぞこの人物を抜擢したもんだ。
日本だったら、石を投げられるレベルの極悪そのものの演技である。
それほど、この映画のランダ親衛隊大佐は狡猾で憎たらしく、嫌らしい。
とぼけたような顔をして、何もかも計算づくで打算づくで辛辣でさえある。
このランダの余りにも嫌らしい人物のせいで、大スターのブラッド・ピットが
演じる、アルド・レイン中尉の存在がすっかり霞んでしまった。
(そういえば、そんな人物がおったかもなレベルまで)
印象に残る悪役といえば、「レオン」に出てくる、ゲイリー・オールドマン演じる、
スタンスフィールドだろう。
それと同様に、このランダも大変印象に残る悪役である。
冒頭のシーンから嫌な感じで、ここから英語で話すと言った時から、
あ、ここに匿っているんだ、会話を聞かれないためかと見当はついた。
フランスに駐留しているドイツ将校ならフランス語も決して苦痛ではないだろうし、
英語に切り替える為の口実なんだなと思った。
隠れているのが判っているから、なかなか帰らないし、
問答がいちいちネチネチしている。

もう一人印象に残る悪役は、酒場のシーンに出てくる、
アウグスト・ディール演じる、ヘルシュトローム少佐だ。
このヘルシュトローム少佐もランダよりは小物ながら、
やはり嫌らしい人物だ。こいつも出てきた時から、あ、嫌な奴だなと
嫌悪感しか感じなかった。ランダ同様いちいち言う事がねちっこい。
この酒場のシーンも緊迫感が溢れていた。
話し方がおかしい、どこの出身だと言われた時から嫌な雰囲気になってくる。
追求が厳しいので、こりゃごまかせないなと思った。
クエンティン・タランティーノ独特の何気ない会話風ながらも緊迫したシーンであった。
物語の冒頭の頭の皮剥ぎはグロかったし、またバットでの撲殺シーンも残酷だった。
撲殺は嫌な死に方だ。どうせなら、銃殺の方がまだ楽な死に方だろう。
ランダがブリジット・フォン・ハマーシュマルク(ダイアン・クルーガー)に
突然飛び掛って、絞殺するシーンは迫力があったし、殺すにしても
まさか唐突に飛び掛って絞殺するとは思ってもみなかった。
あの絞殺シーンは、「No Country for Old Men」の絞殺シーン同様、迫力があった。
斬新で、切り口が新しく、クエンティン・タランティーノらしい映画でした。

日本の古風な悪役の役者の方は、どうも迫力が無い。全く悪人には見えない。
心が美しい方、上品な方ばかりで、ちっとも嫌らしさを感じない。
顔は悪人面かもしれないが、表情、せりふ、話し方、しぐさなど
何もかもが上品で、善人そのもので、悪人というよりは苦労した善人そのものである。
悪人とは恫喝したり、怒鳴ることでは決してない。
悪人とは鬼畜と表現するのすら生ぬるいと感じるほど、
その場に存在するだけで、嫌らしく、何もかもが嫌悪感を覚えるほどの存在である。
視線、息遣い、しゃべり方、歩き方、何もかもが嫌らしく、裏があるようで無ければならない。
日本の悪役の方は、顔は悪役かもしれないが、悪人には全く見えない。
悪役どころか、仕事でやっているんだな、実生活では、真面目な人なんだなと思わせられる人ばかり。
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2009年12月12日

ハリー・ポッターのあの人も出演か?フランス映画 『変人村』

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超大好評連載中!
漫・F・小太郎大先生元帥閣下の映画コラム。
今、アツいのは、古書蒐集日記で独占連載中の
漫・F・小太郎大先生元帥閣下映画コラムである。
やわらか洗車とかセコンドライフもネットで大流行したが、
今、大流行はこの漫・F・小太郎大先生元帥閣下のコラムである。
下は生後3日の赤子から上は齢80の爺婆まで
今、話題はこの漫・F・小太郎大先生元帥閣下のコラムである。
(ルマンドやニューヨークタイツが取材に来る日も近い!)
毎日読み切れないほどのファンレターやファンメールが来るわけだが。
毎日郵便の10トントラックで特盛で配達されるわけだが。

「今月のお便りコーナー」
その中でも一番多かった、質問をここで紹介したい。
「漫・F・小太郎大先生元帥閣下様の大ファンです。
私の母も大ファンでして、親子共々大ファンというか、
実は先祖代々、漫・F・小太郎大先生元帥閣下様の大ファンなのです。
我が尊敬する師、漫・F・小太郎大先生元帥閣下様に
ご質問がございます。
漫・F・小太郎大先生元帥閣下様のFは何の略なのですか?」
答えは、ずばり、フランソワ(Francois)の略です。
正式な名前を表記すれば、「漫・フランソワ・小太郎」になります。

フランス映画 『変人村』
制作国フランス。87分。原題「SHEITAN」
よくありがちな虚仮威しのタイトル。
どんな奴がタイトルをつけているのか、
その人物の顔や経歴や趣味が知りたいもんだ。
(こいつの人生を映画化した方が面白そうだ)
わざと売れないタイトルをつけているというか、
馬鹿にされる為にやっているとしか考えられない。
まあ言ってみれば、ワンカップ大関を
日常使っているような、昭和のすげえカッペが
必死こいてタイトルを考えているイメージ。
タイトルをつけた奴は、さぞいいタイトルと思ったんだろうな。
(確かにお前の中ではいいタイトルだろうよ)

本映画はホラーのコーナーに置かれていたが、
コメディのコーナーでも違和感無し。
或いはエロのコーナーでも異存無し。
ハリー・ポッターのあの人も
何か小遣い稼ぎに出ているみたいだ。
つーか正確にゆーとハリー・ポッターのあの人に
すげえそっくりな奴が後半に出てくる。
本映画はハリー・ポッターのあの人ファンには
たまらないつーか垂涎の映画かも知れん。
(あの人もすっかり成長してオヤジ化してしまったが)
今後代役として活躍が期待出来そうな人材である。

この映画の9割がフランスのかわええオネーちゃんとの
いちゃいちゃだの乳繰り合うシーンであり、
残り一割はバートというアンちゃんが
コケにされるシーンで構成されている。
つまり怖いというかホラー的なものは無いとほぼ断言出来る。
バートがオヤジ(ジョセフ)に言われる。
「俺と二人だけで温泉行こうや」
勿論、バートは断った。
まあ俺でも確実に拒否つーか断るわ。
どこの世界にムサイオヤジと
それも二人だけで温泉いかなあかんの。
どんな罰ゲームやねん。
本映画に出てくる、イヴだのヤスミンだの
オヤジの姪っ子?となら行っていいんだが。
何が悲しゅうて、ムサイおっさんとそれも
二人っきりで温泉いかなあかんの。
昔、TVでやっていた、あの伝説の番組「THE ガマン」かYO
どんな苦行やねん。

まあ、それだけならまだええが、
まあ、それで温泉に行くわけよ、みんなしてな。
それでその場のノリで、アンちゃん達が
オネエチャンを肩車しだすんだな、これが。
今度はまたあのオヤジがバートに、単刀直入、一言。
「俺の肩に乗れや」
そしたら、バートは、「何?そんなの嫌だ!」って即答!
そりゃ俺でも拒否るわ、そんなもん。
他のカップルは、肩にかわええネーちゃん乗せているのに、
どこの世界に、ムサイおっさんの肩に乗る奴がいるのYO!
何が悲しゅうて、ムサイおっさんの肩に乗らんといけんのYO!
「断る!」
もう一度言う!
「断る!」
もう一度言う!
ええか、耳の穴かっぽじって、よく聞けよ。
「断る!」
何の罰ゲームやねん。
何の苦行やねん。
あの伝説の番組「THE ガマン」かYO
怒るでしかし!

つーわけで、唯一の見どころは、かわええフランス娘と
フランス娘の(じゃじゃ丸、ピッコロ)ポロリ位なもんですな。
(なめるよーなカメラワークが、ひたすらいやらしい)
まあ暇で、借りるものが無くて、100円レンタルなら
見てもいいかも知れないレベル。
ちなみに最初から全く期待はしてませんでした。

今回も舞台となるのは、日本で言えば、
あのTV番組「田舎に泊まろう」に出てくるような田舎で、
人の数よりも山羊や馬の数の方が多いんじゃないかというような
ど田舎であるが、フランスではパリやマルセイユやリヨンといった
大都市が特殊であって、部落、村レベルの集合体がフランスという国である。
勿論、日本の様に、コンビニやゲーセンも無く、必要最低限の店しかない。

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2009年12月05日

つーか逆に考えるんだ!2012年まで人類は滅亡しないと!映画『2012』

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2009年アメリカ制作。2時間38分。
CGが素晴らしい。本物に見える。
映画史に残るほどのCGの出来が良かったと思う。
2時間30分余りの長い映画だが、ダラダラするような
眠たくなるような描写はなく、長くは感じず退屈もしなかった。
最高の興奮!大スペクタクルの映画だった。
てっきり宇宙にいくのかと思っていたが違った。
箱船の場面で人がパラパラと落下していくのは
ゲーセンのコイン落としを思い出させた。
主人公の一家はどんな災害でも無傷で、
どんな困難でもスイスイ通過していくのは、
映画のご都合主義だが、そんなことも気にならないほど
世界が崩壊していくシーンは見ごたえがあった。
また我先に他人を蹴落としていく様は、蜘蛛の糸を思い出せた。
箱船に乗り込むチケットが1300億円だから
今のビル・ゲイツは余裕で10枚は買えそうだし
船で無くとも潜水艦でもいけそうだな。

マヤの暦が2012年までしかなかったから・・・という
話だが、永遠に彫るわけにもいかんだろう。
いい加減疲れるだろうし、「まあ、俺もどうせ生きてねえし、
ここまでいいか、別に・・・」とか思って彫っているだけだろう。
そこまでマヤ人が考えているとは思えない。(すげえ深読みだな)
つーか逆に考えるんだ!2012年まで人類は滅亡しないと!
こういう話は金儲けの一手段だな。
(まあ当たり前なことを語っても話題にもならないしな)
余り未来でも現実味がねえし、といって、来年とかにしても
近すぎて都合が悪いので・・・。
日本人嫁が出てきたが、どうも日本人には見えない。
中国人に見えて仕方がなかった。
タマラが中指を立てた時、指でも挟みそうで、ヒヤっとした。
ロシア人の金持ちのピザオヤジがなかなか男らしくてカッコ良かったし、
操縦士のゴードンとタマラも良かったな。
彼らは何も死ぬことは無かったんじゃないかなとも思った。
生きている設定でも別に問題はないのではと思った。
チベットの坊さんも達観しており、なかなかカッコ良かった。
仏教の僧と言えば、1963年6月にゴ・ディン・ジエム政権の宗教弾圧に
抗議の為に、自らガソリンをかぶって焼身自殺した、ティック・クアン・ドックを
思い出す。日本の即身仏と同様に強靭な精神力には感服するしかない。
主人公一家の箱船での水攻めの苦難の描写を削って、
新天地の描写や上陸シーンを描いた方が良かったと思う。
posted by zola at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | SF映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月01日

エリカが例えてあげる 映画 『真珠の耳飾りの少女』

pearlearring010.JPG

2003年のイギリス・ルクセンブルク制作。100分。
(原題Girl with a Pearl Earring)
この映画の評価は高いようだ。
もし私がこの映画を褒め、良い映画だと断言することによって
大きな様々なメリットを得るならば、大いに褒め称えたいと思う。
(白を黒だと言い張っても良い)
しかし、私はこの映画を良いと褒めても
メリットは一切無いので、本心のままに評価したい。

私には全く合わない映画である。
私はこの映画を人に薦めることは出来ない。
ストーリー展開以外は、映画としては考えれば良い映画だろう。
17世紀のオランダが見事に再現されており、
召使の少女、フェルメール、妻、フェルメールの娘、
召使のおばちゃん、肉屋のあんちゃん、パトロンなど、
配役はぴったりで、フェルメールの絵の通りだ。
見方を変えれば、雇用者と使用人という階級差を
露骨にあからさまに描いたと言えばそう言えるだろうし、
この映画は全編リアリズムに徹しており、一切妥協はしていない。

しかし物語はハッピーエンドではないので、
見終っても楽しい気分になれず、モヤモヤするものが残ってしまった。
(人を苛めて喜ぶ陰険でサド傾向の人間には良い映画かも知れない)
まるで「小公女セーラ」のように、いじめのシーンが満載だし、
召使の少女が可哀想になった。
(まあ可哀想と思う考え自体がこの時代では間違っていると思うがね)
「おしん」とか「渡る世間は鬼ばかり」みたいで、
脚本は橋田壽賀子が書いているんじゃないかと思ったほど(では無いけど)。
フランダースの犬のアニメで銅像が出来たように、
この物語をアニメ化されるならば、フェルメールの銅像ではなく、
召使の少女の銅像が建ち、こんなことをする
オランダ人は酷い奴だと非難GOGOだろう。
いつエリカが出てきて、「エリカが例えてあげる」って
言い出すのかとビクビクしていた。
エリカが夜空に輝く満天のお星様なら、あんたは味噌汁のダシに使う煮干様。
エリカが輝くダイヤモンドなら、あんたはその辺の道に転がって踏まれるだけの石ころ。
エリカがフランス料理なら、あんたは、ねこまんま。
エリカがビーナスなら、あんたはただのナス。
エリカが優雅に舞う白鳥なら、あんたはゴミ箱を漁るカラス。
エリカが舞台で輝くプリマドンナなら、あんたはその舞台に投げられる紙テープ。
エリカが豪華客船クィーンエリザベス号なら、あんたは三途の川を渡る泥舟。
定番と言える、櫛が無くなったとは言っては、「盗んだのはお前だろう」と妻には言われ、
「夫とコソコソと泥棒猫のように乳繰り合っているのは、お前だろう」と、また妻に疑われ、
「何故、この女を描いて、私を描かないのか?」とまた妻は激怒する。
(1970年代の少女漫画だったら靴に画鋲をしこたま入れられていることだろう)
まあ、どう見ても中年の女よりは、若い娘の方が描きたくなるだろう。
もし、あの絵のタイトルが、「真珠の耳飾りの(中年)女」だったら、
ここまで、今評価されているだろうか?

最初から最後まで、召使の少女は、高飛車で陰険陰湿な姑と
妻と娘にネチネチといびられまくりだし、フェルメールのパトロンには言い寄られ、
手篭めにされそうになるわで、「小公女セーラ」にはまだ救いがあるが、
この映画の物語には救いは描かれていない。
フェルメール自体、謎の多い画家なので、どんな物語でも作れるといえば、
作れるのだろうが、もっと楽しい話にして欲しかった。
まあフェルメール自体、昨今いやにTVに取り上げるので、
食傷気味だ。私は多分、フェルメールは召使などを
描いたのではなく、普通に考えて、描きやすい、また心の通じる、
自分の娘を描いただけと思うし、そこまであの絵には
深い物語も秘密もエロスもなく、ただの描写に過ぎないと思う。
売らんが為の奇を衒うばかりの新説や学説には、正直飽き飽きしている。

召使女の手を出すというのはよくありがちな話だが、
フェルメールの人生から言って、彼はそこまで要領の良い男だと思えない。
もし、そんなに要領が良い男だったら、パトロンも多くいて、
もっと多作で、金銭的に困ることも無く、忘れられた画家ではなかったはずだ。
彼は絵を描くことは優れているが、世渡りはピカソレベルまで上手くない。
彼はピカソの様に、絵を数売ればいいやと、
ただの売り物の商品として認識していたのではなく、
生き方が不器用な職人肌の画家だったのだろう。
最後にやはり恒例のことだが、使用言語が英語なのは良くない。
ただ時代考証はよく出来ている。
置かれている本は時代にあったべラム装だし、ガラスも時代に合っているし、
ヴァージナルも時代に合っているし、これで使用言語がオランダ語だったら、
尚良い出来になったろう。
posted by zola at 21:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする