2010年08月11日

役に立たないきれいなおせじ インパクトある京都のバンド『赤痢』

sekiri00a.JPG
今回は、若い頃、散々聴いた、京都のバンドの『赤痢』を紹介。
京都というと一般的にパンクのイメージは無いが、
俺はこのバンドを知ってから、そんなイメージだけになってしまった。
イギリスはホームズを読んでいた、中学の頃は、
紳士の国だったが、ピストルズを聴き始めてからは、
イメージはパンクとマズイ飯の国になってしまった。

それにしても、赤痢はインパクトがあるバンドだ。
赤痢が昔、東京でライブをやった時に見た覚えがある。
赤痢のCD「赤痢物語」にはこうある。
1983年8月1日京都にて結成。
1984年1月京大西部講堂デビュー。
1985年春 beatcrazyより4曲入EP「赤痢」を発売。
キャプテンレコードのオムニバスLP
「We Are Beat Crazy」に2曲参加。

俺が若い頃は、こんなパンクバンドばかり聴いていた。
バカバカしくて、ぬるい、普通の歌など聴いていられなかったな。
ビートルズとかなんて、あの頃、爺はさっさと引退しろって思ってたな。
団塊の世代とかなら、ブームとか実際にあったろうし、
洗脳とか踊る奴もいて、踊らせられる奴もいただろうが、
俺らの若い頃からか、俺らの世代の頃からか、
趣味嗜好の多様化が顕著になりはじめて、
ブームを作為的にマスメディアが作り出すのが段々と
困難になっていた過渡期だと思う。
俺らはその頃、インディーズと呼ばれた、自主制作の音源と
それにアマチュアのバンドに夢中だった。
そんなものに夢中になっていた俺らは、
「紅白歌合戦」とか「ザ・ベストテン」とかバカバカしくて、
ちゃんちゃらおかしくて、見るはずもなかった。

赤痢は歌のタイトルと歌詞がインパクトがある。
キャプテンレコードから出た、京都バンドのオムニバスLP
「We Are Beat Crazy」の方に、好きな歌が入っている。
「PACHINKO」と「ダイナマイトキッド」
歌詞がインパクトがあって好きだ。
この「PACHINKO」と「ダイナマイトキッド」は
後年発売された赤痢のCDに入っているが、ちょっと違う。
やはり、オムニバスのバージョンの方の
「PACHINKO」と「ダイナマイトキッド」の方が好きだ。
この赤痢のファーストEPは今ならyoutubeで聴けるが、
いつ削除されてもおかしくない。

赤痢
https://youtu.be/4OV3DbOp7Es
("記事投稿時ならば視聴可能")

ボーカルの声が実にぴったりで、良い。
この声じゃなくちゃ、赤痢は成立しないと思う。
まさしくパンクの王道とも言うべきのバンド。
これを超えるのは無いじゃないかと思う。
それも女のバンドでさ。
赤痢の曲の歌詞で放送禁止用語、或いは
人様にはとても言えない言葉ばかりで、
絶対放送は出来ないだろうな。
この21世紀になってさえも。

「ナンバー」の歌詞の中で”確実に聞き取れる”部分だけを抜粋。
1時間で2万でどうや。2万じゃ春はわたせんな。
ほんまかいな。そうかいな。ハエハエカカカキンチョール。
そんじょそこらのおめことちゃうで。
イカレポンチはとっとと失せろ。イカレポンチはとっとと失せろ。

これ以前の歌詞は聞き取りやすい箇所と聞き取り難い箇所がある。
間違っているかも知れないが、書き出してみる。

あたしがナンバにいった時
小さい路地を通ったら
くさい女の声がする
おっさん、あたしは処女なんよ
処女のあそこはどピンクやんけ
そんなら、あたいはスベ公か
女の身体はなんなのよ
かえしてかえして、かえしてよ

何にしても相当なインパクトがある。
赤痢のメンバーは1968年生まれで、このEPの発売が
1985年の春だから、1985年当時、メンバーは17歳である。
その頃、マスメディアのTVだのラジオで、
(清純を装った、その様に設定された)
同年代のアイドル(虚像)が甘ったるい
(どこにも存在し得ない)恋愛を歌っていた頃である。

追記。
こういう曲を聴くと自動的に昔を思い出す。
何故、思い出すのか。
思い出があるから。
思い出がないと思い出せない。
最初から無いものは思い出せやしない。
若い時の思い出は大事。
一生ものの宝かもしれん。
ヨボヨボの爺になってから作る思い出なんか
(まだ、そんな年齢ではないから飽くまで推測だが)
たかが知れているように思える。

そんな柄じゃねえけど、若い奴に一言。
若い時しか経験出来ないことがある。
何でも勉強だし、何でも経験だ。
今、役に立たないと思うかも知れんが、
何でも経験し、また思い出を作っておきたまえ。
将来、役に立ったり、また、それは良い思い出になる。
経験は思い出になる。
金と知識と思い出(経験)はいくらあっても邪魔には決してならない。

*ネットで正確?らしい「ナンバー」の歌詞を見つけたので掲載する。

わたしが難波へ行った時
小さな路地を通ったら
むさいおっさん声かかる
おっさん わたしは処女膜よ
処女でもアソコは持ってるやんけ
バイタか スベタか ズベ公か
女の体はなんなのよ 帰って帰って帰ってよ
1時間で2万でどうや 2万じゃ春はわたせんな
ほんまかいな そうかいな
ハエハエカカカキンチョール
そんじょそこらのおめことちゃうで
イカレポンチはとっとと失せろ
イカレポンチはとっとと失せろ
posted by zola at 23:08| Comment(0) | TrackBack(0) | パンク・インディーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月07日

オヤジなら、かわいいウクレレおねえさんが大好きだよな? 『madmoizelle.tv』X

scampi010.JPG
以前、『madmoizelle.tv』をしたが、
まだ、あのかわいいウクレレのおねえさんの「Scampi」を
紹介していなかったので、紹介する。
「Scampi」は声もとてもカワイイが顔もとてもカワイイ。
フランスやベルギーなどでライブ活動をしている。

SCAMPI - ≪ I’m Good, I’m Gone ≫ (Lykke Li Cover)
http://www.madmoizelle.tv/v3/1127,scampi-im-good-im-gone-lykke-li-cover.html
(記事投稿時なら視聴可能)

Scampi - ≪ Urban Jungle ≫
http://www.madmoizelle.tv/v3/763,scampi-urban-jungle.html
(記事投稿時なら視聴可能)
posted by zola at 08:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月01日

負けた奴は養分になる 映画『麻雀放浪記』V

getuyoubiyuka010.JPG
映画の話に戻るが、加賀まりこ、大竹しのぶ、鹿賀丈史が
出演している。
鹿賀丈史は、「野獣死すべし」の出演でもそうなのだが、
激怒するオヤジ、ヤクザなイメージが俺には有るが、
彼の激怒の演技はワンパターンであって、優れているとは言えない。
大竹しのぶは、今はTVや映画に頻繁に出ているとは言えない
存在になったが、昔は映画によく出ていたものである。
頭が弱い女、*したたかで男に尽くしながらも裏切られてしまう女を
演じるのが上手い。そういう役どころが多い女優である。
元祖小悪魔女優の加賀まりこも出演している。
彼女は辛辣なイメージがあるが、
彼女が昔出演した映画「月曜日のユカ」の予告編を
youtubeで見ると、それが許されるほどの美貌、
究極の可愛さを持った女優だった事が判る。
かわいい女、美人は、歯を磨いても、煙草に火をつけても
また欠伸をしてさえも、何もかもがサマになる。
「月曜日のユカ」のオープニングは優れている。
女(加賀まりこ)が服を脱ぐシーンを多用しているが、
フランスのイラストレイターのエルアールの
挿絵に似ており、センスがとても良い。

映画「月曜日のユカ」(1964年製作)もそうなのだが、
昔の日本を見てみると今とまるで雰囲気が違う事に驚く。
世界でこれほど短期間に変貌した国は恐らく有るまい。
走っている車もそうだが、何もかもが違っていて、異世界そのものだ。
日本敗戦から20年弱、戦争をリアルで経験している人が
ゴロゴロしていた時代だ。今とは全く違う。

*したたかじゃない女なんかこの世の中に存在しないし、
ずるくない女なんかこの世に存在しないし、
打算的じゃない、計算高くない女なんかこの世に存在しない。
かよわい女というものが存在するのは、夢見る男の頭の中だけだ。
気が弱い男は存在するが、気が弱い女というものは存在しない。
もし存在すると錯覚する(そう見える)ならば、
それを女の利己的な演技に他ならない。
女がメニューを見て、あれこれ迷うのは、絶対損をしたくないからだ。
女がいつも迷うのは、決して損をしたくない為に
その選択に時間がかかるからだ。

映画 「麻雀放浪記」 予告編
http://www.youtube.com/watch?v=DDS7uA6U7xs
(記事投稿時なら視聴可能)

「月曜日のユカ」のタイトルバック
http://www.youtube.com/watch?v=5tqW0Ota95Y
(記事投稿時なら視聴可能)

「月曜日のユカ」予告編
http://www.youtube.com/watch?v=Ni4PThuBwRQ
(記事投稿時なら視聴可能)
posted by zola at 16:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

負けた奴は養分になる 映画『麻雀放浪記』U

ただギャンブル的要素と思われているもので、
一つだけ一般人が養分になりにくいものがある。
それは株だ。
確かに仕手筋、インサイダー、内部者、或いは
それに準ずる者よりは一般人は養分になりやすい。
しかし、そこには宝くじの様な運的要素が皆無であり、
要は心理戦だ。
上記に挙げた者を、一般人が凌駕し、奴らの養分化せず、
養分のおこぼれにありつくには、人の行動を読む事に尽きる。
経済学そのものよりも人の心理を読むことだ。
株の心理戦において経済学の知識なんざ何の役にも立たない。
経済学は世間では文系と称される。しかし文系とはほど遠い。
経済学を学んだ奴に限って、文学を知らず、歴史を知らず、
また人も知らない。
何とか曲線、統計など何の役にも立たない。
この世の中の全ての基本、全ての道は文学と歴史であって、
また人という存在を追及することに尽きる。
経済学を学ぶ者が犯しがちな過ちは、人は何とか曲線とか
なんとか方程式によって行動するのではなく、
欲(ゲーム理論、囚人のジレンマ or 損得の感情etc)によって、
行動するという事を知らない点だ。
過去を見よ、歴史を見よ、文学に描かれた人の生き様を見よ。
そこに答えが有る。

Aに学ぶ、株の儲け方なんか何の役にも立たない。
人は人、Aという人間が儲けたからとって、
貴方が儲かるとは限らない。
貴方は所詮、Aという人間ではないのだ。
株を極めたかったら、まず経済学よりも人を学べ。
経済学の本よりもまず文学書や心理学や歴史書を手に取れ。
それからでも決して遅くはない。
専門家だの識者と世間で言われる輩が出している、
マニュアル、ハウツー等のゴミ本を買っても決して儲からない。
何故ならば、そこに書かれているのは貴方の事では無いからだ。
それは、その人、その状況下、その環境下に置かれた人の
場合であって、貴方では決して無いからだ。
百歩譲って、その時、その人は儲けたかも知れない。
しかし、それは貴方ではないし、
また、その時でも、その状況下では無い。
儲かるのは刊行元と執筆者だけ。
そんなに確実に儲かるなら、本なんか書いてない。
確実に言えるには、株の上げ下げは誰にも予想が出来ない事だ。
同じ事例は二度と無い。
リーマンショック、ギリシャ危機・・・。
世界情勢、世界経済は刻々変化し続けている。
同じ情勢など有る訳が無く、今までの手法、
読み方が通用する筈もない。
よって、そのような指南書は無意味。
滑稽な事に(普段読書なんかしない奴らほど・・・否しないからこそ)
そんなゴミ本を有り難がる。
もし、確実な方法が仮に有ったと仮定しても、
どこの世界に、儲ける手法を赤の他人に明かす、
お人良しがいるのだろうか。
何にしても勉強が必要。
どんな分野であれ、知識が豊富にまさる事はない。
金と知識はどれだけ有っても決して邪魔にはならない。
それだけではなく、人生を有意義にしてくれるものだ。
posted by zola at 16:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

負けた奴は養分になる 映画『麻雀放浪記』T

majanhourou010.JPG
懐かしい映画である。
昔、相当昔の事。まだ私が若い頃にTVで放映
していたので、見た覚えがある。
本映画の主題歌「東京の花売り娘」をこの映画で知り、
それから好きな歌の一つとなった。
俺は決して、絶対に死ぬまでギャンブルはやらない。
やろうと思った事すらない。
マージャン、花札、パツンコ、ケーリン、ケイバ、キョウテー、
ケイリン、宝くじ、ロト、トト、この世に存在する、すべての賭け事、
全てのギャンブルをやろうとしたことも無く、またやった事はない。
そのような物がこの世に存在している事だけは知っている。
何故、やらないのか?それはそこには確実性がないからだ。
もし給与生活者が二分の一の確率で、毎月の月給が、
0円か、100万か、どっちかになると言われ、
それで雇用契約を結ぶだろうか?
勿論、その確率は意図的に操作されているかも知れないし、
公平だとは絶対言い切れない場合もあると仮定する。
もし12回連続で月収100万だったら、年収に換算して1200万、
しかし年収0円かも知れない。
契約を結んでから何十年間も月給100万かも知れないし、
または逆に何十年間、収入が0円かも知れない。

確実なのは胴元だけだ。それを運営する奴だけが甘い汁を吸う。
他の奴は全て養分になる。これがギャンブルの本質だ。
文学や芸術を高尚という輩が存在する。
否、それらは俺にとって、身近に存在するものであって、
高尚とは言えない。思ったことすらない。
では、そもそも高尚の定義とは何?
俺から言わせれば、不可能への挑戦とも言うべき、
不確実性の塊のギャンブル、或いは、その概念を
追求する、ギャンブラーこそが高尚だと思う。
考えて見たまえ。
是ほど無謀な行為を平然と行なうのは、
正しく高尚だと言えるのではないかと思うのだ。
何故、そこで自分だけが勝てると思うのか?
自分こそが神だと確信するのか?
勝つという可能性が有るならば、必然負ける可能性も
有るという事だ。負けたからといって、では次こそ勝つという
可能性が有るとは限らない。負け続ける可能性もある。
負ける奴に限って、言う事は決まっている。
「今回は負けたが、次は勝つ」
否、今回も負けたが、次も負ける。
次も負ける可能性は充分有る。
永遠に養分を吸い取られる可能性は充分有る。
もしパツンコで5000円負けたと仮定する。
その5000円を取り戻して、収支はトントンだ。
そこからの時点で+5000円で、プラマイゼロだ。
果てしなく遠い道のり。プラマイゼロどころか、
そこからまた5000円負けて、合計の損失額が、
1万円になる可能性は大いに有る。
一度負けるとそこから損失分だけを取り返すだけでさえも
相当難しい。正しく泥沼。
宝くじもそうだ。こういう言い方がある。
買わないと当たらない。
否、それは違う。
正しくは「買っても当たらない」だ。
宝くじ(ギャンブル)の運営元は何も貴方を金持ちにさせたくて、
慈善事業でやっているんじゃない。
貴方に養分になって欲しいからやっている。
ギャンブルの本質は運営だけが確実に儲かる。
他の者はただの養分に過ぎない。
ギャンブルにはまるほどの無垢さ、無邪気さを持つ奴を
俺はいつも羨ましく思う。
posted by zola at 16:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする