2009年08月01日

洋古書『マガザン・デ・ドモワゼル(お嬢様のお店)』V

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今回は、以前紹介した、フランス第二帝政期(1852-1870)の
月刊ファッション雑誌『マガザン・デ・ドモワゼル』(1854-1855)を紹介する。
挿絵画家は前回と同様、Anais Toudouze-Colin(1822-1899)
Anais Toudouzeは1822年にウクライナで生まれた。
彼女はパリに移った後、Desgrange氏と1844年頃に結婚した。
彼女は数多くのファッション雑誌に挿絵を描き、
ファッションプレートの署名には旧姓を用いた。

以前、ネットで「痕跡本」という記事を見つけたことがある。
愛知の古本屋が、元の持ち主の痕跡が残る古本を
極めて高額な、常識を遥かに超えた金額で売っているという記事だ。
大抵の古書コレクターは元の持ち主の痕跡を嫌がるものである。
私個人の今現在の価値観で言えば、フランスの古書については、
元の持ち主がどんな人物だったのか、知りたいので、
本の威厳を損なわない程度の書き込みやサインなどなら別に問題無い。
本書(ウブ出しの古書)の持ち主に関しては、推測の域を出ないが、
ビスケットなどを食べながら、外国文学の連載物を読んでいたとみえ、
ビスケットのような、小さな破片がページに挟まっていた。
髪の色はブロンドかも知れない。ブロンドの髪の毛が挟まっていた。
飽くまでも推測の域を出ない。
出版社の人の髪の毛かも知れないし、装丁者の髪の毛かも知れない。
まあ、確実に言えるのは、わざわざ年間購読費12フランを払うほど
金銭的に余裕があった家庭だという事。
雑誌をわざわざ装丁させるほど金銭に余裕がある家庭である事。
パリから離れた地方で、わざわざ定期購読するほど
ファッションに興味を持ち、また、それが許されるほどの家庭だという事。
また字が読め、雑誌を読むほど時間的にも余裕があったという事。
仕立て屋で、ドレスを注文するほど金銭的に余裕がある家庭である事。
またビスケットなどのお菓子を食べられる家庭である事。
1854年当時17歳と仮定するならば、1837年生まれになる。
70歳まで生きたと仮定しても第一次大戦を見る事無く死んでいる。
もし100歳まで生きたとしても第二次大戦を見る事無く死んでいる。
これらは確実に言える事だ。

ちなみに1854年にはペリーが浦賀に来航し、日米和親条約が結ばれた。
架空の人物であるが、シャーロック・ホームズの誕生日は
1854年1月6日と言われており、作者のコナン・ドイルは1859年に誕生している。

*オークションでもこれよりも後期のファッションプレートを見かけるが、
やはり記述に間違いが多い。
酷いのは19世紀のものを18世紀と表記したものなどある。
当然ながら100年も差が有るし、女性の服装も
(19世紀と20世紀ほどの違い無いにしろ)勿論違っている。
1800年代=18世紀だという思い込み、勘違いであろう。
大抵の人は、歴史など興味も無いし、考えもしない。
まあ生きていく為には別に困る訳ではないが。
(私の野球知識が未だに侍ジャイアンツと南海ホークスのドカベンで
停止していると同じ事である)
兎角歴史教育はおざなりに済まされがちであり、
人々が映画「マリーアントワネット」の時代を、
一片の疑いさえも無く、「中世」と語っているのを聞くと悲しくなる。
(私の野球知識が未だに長島、王、江川、南海ホークス、
大洋ホエールズレベルで停止しているのと同様である)
ちなみにマリーアントワネットが活躍した時代区分は近世(近代)

服装は人を表すものとされてきた。
現在でもその通りである。
人を見る時、よく靴を見るとか言われている。
しかし、私はそうは思わない。
(まあ目安の一つにはなるかも知れない。それは否定出来ない)
靴など金さえあれば、30分もあれば用意出来る。
私は人物を見る時は歯を見る。
歯というのは誤魔化しが全くきかない。
歯が汚い、手入れが悪いのは、”相当不精な証拠”である。
(加齢や老化、事故などの場合は勿論除外)
それは100%そうだと断言は勿論出来ないが、
すぐに歯は虫歯になるわけでも無いのだ。
人に気づかれるほどの虫歯になるまでには時間がかかる。
また治すのにも時間がかかる。短時間で治すのは難しい。

2011年2月27日追記
オークションで、本ブログ記事の文章を丸写しした人がいるが、
当然ながら、勿論、記述に間違いが見られる。
「女性のための雑誌」と言う訳では適切ではない。
magasin=店、商店の意
magazine=雑誌、グラビア誌の意
(ちなみの日本語でも使われる、boutiqueはmagasinよりも
小規模の店舗の意である)
であるので、お嬢様、或いは御令嬢のお店と訳すのが適切だと思う。
本ブログ記事の文章を丸写しでオークションに出品されている、
この方は、イギリスが大好きな様で、英語脳なので、
何でも英語的に考えてしまい、magasinを雑誌と思い込んだ様だが、
上記にある通り、訳としては適切とは言えない。
人生は一生勉強である。学校の勉強のみが勉強に非ず。
英語の語源もフランスからであり、欧州文化の基礎は全てフランスにある。

まあ、それは良いとしても、2年合本ですと書かれているが、
全380ページ 厚み約3.2cmという事からして、
これは2年分で無く、1年分の合本に過ぎない。
大抵は1年毎に合本される。たまに2年分の合本も
無くはないのだが、現在残っているもので、2年分の合本は
1年分の合本に比べて、本の重量もあり、
やはり本に負荷がかかるので、保存状態は良いものは稀。
この方はイギリスが大好きなようだが、イギリスのファッションに
ついては何も書くことすらない。
今現在もっともオシャレで、高度に洗練された国は
我が国日本であるが、19世紀、世界で最も服装が洗練され、
世界が手本にしたのは、イギリスではなく、フランスに他ならない。
それは刊行されたファッション雑誌の刊行数からも、それが判る。
イギリス、或いはアメリカでも、19世紀にはファッション雑誌の刊行は
されているが、印刷技術もフランスより劣るし、また、その流行も
自ら何も発信する事が無く、フランスからもたらされものである。
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2009年07月01日

洋古書 エルアールの代表作『エプタメロン』

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今回は、アールデコ期にフランスで活躍した、
挿絵画家シェリ・エルアールの代表作であり、
最高傑作であり(Pochoir技法の挿絵をふんだんに使った)
最大の挿絵本である、マルグリット・ド・ナヴァル著『エプタメロン』を紹介する。
(本書は私のお気に入りである)
『エプタメロン』の主軸となるテーマは愛である。
男女の愛や情を軸に語られた物語集である。
シェリ・エルアールの主な活躍の舞台は、
雑誌「ラ・ヴィ・パリジェンヌ」誌であるが、
単行本でのエルアールの最高傑作は、本書の『エプタメロン』である。
本書はParis, Javal et Bourdeauxから1932年に刊行された。
Quartoの大型本で全4巻。
総シャグラン革。美麗箱付。元表紙保存綴込。極美本(新品同様)
(挿絵は昨日作られた様に今でも鮮明である)
本書は当然、元愛書家の持ち物であるが、
やはり読んだ形跡はどこにも無く、
本書を装丁した者よりもページを捲る回数が少なかったと思われる。
(高価な茶道具を使う事無く、鑑賞するのみと同様である)

シェリ・エルアールの謎に満ちた人生は誠に興味深い。
彼はどんな人生を送ったのか?
エルアールは膨大な数のイラストを残して死んだ。
生きている間に、描くだけ描いて死んだ様な感じだ。
好きだけではとても出来ないレベルの膨大なイラストの数である。
彼の人生は、パリ娘の生活を描く事と中世フランスの世界を
描き続ける事であったと思う。(エルアールの別名義でのSM画を除く)
彼にも子孫がいるはずだが、今、どこでどうしているのか?
バルビエやブルネルスキやマルティやラボチェッタなど
彼と同時代に生きたフランスのイラストレイター達には謎が多い。
本書は、総発行数1550部の内、
アルシェ紙に刷られた限定150部の内の一冊。
この限定150部はカラー以外に、セピア色と青色の2種のsuite付。
("本書の限定150部、それに限定40部の局紙"のものなどは、
なかなか市場に出る事は無い。極めて稀。稀覯本)
箱まで装丁家に注文し、作らせる事は稀であり、
それも大型本の複数の箱を注文することは、さらに極めて稀である。
装丁はジャンセニスト装であり、飾り気が無いので、物足りなく感じる。
装丁家の栃折久美子や(彼女の著作「モロッコ革の本」に登場する)
チェケルール先生が好みそうな装丁である。
(栃折久美子著「モロッコ革の本」から抜粋)

『(チェケルール)先生は「お前はどんな本を美しいと思うか」と私に聞いた。
「よく選ばれた材料を使った、確かな仕事、無駄な飾りのないもの」
「私もそう思う」』

私がいかに、栃折久美子著「モロッコ革の本」に登場する、
ベルフロアさん系の装丁を好むからと言っても、
本というよりもオブジェと化した物体は好きじゃない。
手入れが難しそうで、扱いにくそうに感じるからだ。
本書は当然パッセカルトンであり、開きにくいが綴じは堅牢である。
(フランスの機械製本ではない、古典的な装丁はパッセカルトンである)
日本においての機械装丁はすべてブラデルであり、
開きやすい反面、背が割れやすく、背が外れやすい
という難点を持っている。
それは機械製本のイギリスやアメリカも同様であり、
イギリスやアメリカの機械製本の古書を見ると、
背が割れていないものを見つけるのは難しい。
フランスのパッセカルトンは開きにくい反面、
背は割れにくく、百年間以上硬く綴じる事が出来る。

本書の印刷はパリから程近い、アルジャントゥイユにある、
Robert Coulouma印刷所で行われた。
Robert Coulouma印刷所は第一次大戦頃から第二次大戦頃にかけて
数々の有名な挿絵本が印刷されたところである。
(歴史に残るほど高名な印刷所である)
例えば、バルビエの「Le roman de la momie」や「L'escapade」などが
このRobert Coulouma印刷所で印刷されている。
本書の挿絵は(エルアールが得意とした)中世の世界を見事に描き切っている。
本書はエルアール無くば、決して成立し得なかったし、
エルアールで無くば、とても表現し切れない世界である。
webでは、本書の挿絵の素晴らしさを充分お伝え出来ないのは残念である。
作られてから70年以上経過しても、いまだに退色せずに鮮やかな色彩であり、
実際に手にとって見るとその挿絵の発色の素晴らしさ、見事さに驚かされる筈。
(それほどweb上の写真と実際の挿絵ではまるで違っている)

本書の挿絵はPochoirだと思われる。
ダニエル・ジャコメによる、ジャコメ工房によって、本書の挿絵は制作された。
ジャコメ工房のPochoirは、ダニエル・ジャコメ独特の創意工夫がなされており、
ジャコメ工房のPochoirの完成度はIMPRIMEUR D'ARTと言わしめるほど、
極めて高いと頗る定評があり、Pochoirでは最高のレベルだと言われている。
その高い技術力と評価は今なお不動であり、
ちなみにピカソ・ミロ・マチス・シャガール等のPochoirもここで制作されている。
ただ技法云々よりも、、私は大変気にいっているので、
どんな技法でもかまわないと思っている。
滑稽な事に、趣味で非ずにして、それにて生計を為す、
言わばプロフェッショナルと言うべき、日本の某古書店の記述では、
ジャコメ工房制作のPochoirを石版画と堂々と記載している店が存在する。
多くの日本人は(オークション等の傾向を見れば)リトグラフが
大変お好きの様だが、銅版画以外ならば、
何でも石版画と思い込むのは無知であり、それは早計と言うものだろう。
Pochoirと石版画では、質感が違い過ぎる。
間違いようがないはずだが、これをどうして間違えるのか。
知識は邪魔にならず、何事も一生勉強だと常々思うが、
そうは思わない輩もいるようである。
ジャコメ工房のPochoirは日本人には馴染みが無いと言っても
過言ではないが、フランスのアールデコ期の挿絵本には
ジャコメ工房のPochoirがよく使われている。
(判りやすい事例を挙げれば、例えばマルティ等)
ムルロー工房は、誰でも知っている。
このムルロー工房こそ日本では一番知名度が高い、
フランスの工房であろう。
しかしフランスの工房はムルローだけに非ず。

先述のPochoirと石版画の勘違いは、まだ良い。
日本のオークションはこれよりも酷い。
勉強している人は確かに存在し、稀に博識な人物もいるにはいるが、
逆に、問題が多い人も沢山いる。
調べても判らない事と最初から知らない事は別だ。
判らないならば、堂々と判らないと言うべきである。
*特に海外在住の日本女が売っている雑貨が酷い。
(商品の説明の記述に相当な間違いがある)
海外移住の日本女達は、どうやら蚤の市なんかで
仕入れてくるようだが、文字通り蚤の市であって状態が最悪の物が多い。
状態が悪くても値段が安いなら、まだいいが、
蚤の市は必ずしも価格が相場よりも安いとは決して言えない。
悪かろう高かろうであり、良いものは原則的に蚤の市には流れない。
例外はあるとしては、例外は決して普遍ではない。
奇跡は滅多に起こらないから奇跡なのであって、
掘り出し物は滅多にないから、掘り出し物と呼ばれる。
女で古書マニアはいないし、外国に移住するような、
外国(欧米)かぶれの日本女で、本格的な古書マニアや
本格的な歴史マニアはいない。
(そもそも、それ以前に女に本格的な古書マニアは、
少なくとも日本においては存在しない)
完全に外国語を学ぶか、古書を学ぶか、二つに一つだ。
両立するのは不可能に近い。
(外国語を学ぶのに、学ぶ場所や施設や学校は存在するが、
古書を学ぶところは存在しない)
ネイティブ並の外国語が出来る人に本格的な古書マニアはいないし、
本格的な古書マニアで、ネイティブ並の外国語が出来る人はいない。
しかしネイティブ並の外国語が出来ずとも物は買う事は可能だ。
外国人も商売だ。金を払うならば、いくらでも売る。
しかし、逆にネイティブ並の外国語が出来ても、
古書の知識が無ければ、良い本は決して買えない。
日本語が出来ても、日本の骨董の知識が無ければ、
(悪い物を避け)良い物を買うのは難しいと同様である。

日本において、エルテやイカール(或いはローランサン等)は
他国では考えられないほど異常に人気がある。
これは疑問なのだが、日本には(他国と比較し)突出して
それらのファンが相当多いようだが、そのファンは、
雑誌「ラ・ヴィ・パリジェンヌ」誌上で活躍した、
エルアールなどのイラストレイター達を網羅熟知し、知り尽くした上で、
敢えて、そこは敢えて、わざわざエルテやイカールを選んだのか。
それとも知らぬが故に、それを買うのか。
或いは知っていても無視を決め込んでいるのか。
携帯電話の世界でも、日本の携帯電話はガラパゴス諸島と
言われているが、美術コレクターの世界ではどうなのだろうか?
日本人の美術コレクションは欧州とはかけ離れ過ぎており、
独自性が強く、(ただ闇雲に名前だけに固守し)
強迫観念に近いものが有るように思われてならない。
それにばらつきが少なく、どこを見ても何を見ても同じに思える。
(それは土産物屋の金太郎飴を見るようだ)
アメリカ人が咳をすれば、日本人も咳をしだすように、
美術収集傾向ですらアメリカに迎合隷属しすぎるような気がしてならない。
しかし世界はアメリカ(或いはイギリス)だけで構成されている訳ではない。

*西班牙語を仏蘭西語と間違えたり、洪牙利語を露西亜語と間違えたり・・・。
何語で書かれているのかすら知らないで売る者も数多くいる。
売る方も売る方だが、買う方も買う方だ。
書かれている日本語も不自由で、また外国語も疎く、
歴史や地理や文学や古書や雑貨にも疎い。
彼女達は一体何が専門なのでしょうか。
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2008年12月21日

洋古書『マガザン・デ・ドモワゼル(お嬢様のお店)』

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フランス第二帝政期(1852-1870)のファッション・プレートの
挿絵画家を語る上で欠かす事が出来ない人物が三人居る。
この三人は(第二帝政期において)最も有名で
かつ重要なファッション・プレートの挿絵画家である。
一人はJules David(1808-1892)、
もう一人はFrancois Claudius Compte-Calix(1813-1880)、
最後にAnais Toudouze-Colin(1822-1899)
(ちなみにアナイスにとってJules Davidは最大のライバルであった)
アナイスは、長年に渡り、数多くのファッション雑誌に、
夥しい数のファッション・プレートを描いた。
その中でも、今回はアナイスが「マガザン・デ・ドモワゼル1855-1856」
に描いた、ファッション・プレートを紹介する。
この時期の流行の大きな特徴は、クリノリン(crinoline)スタイルである。
こういうリボンやヒラヒラやレース満載のドレス、
クリノリンスタイルはとても優雅で綺麗で見ているだけでウットリ。
(これよりも後年のバッスルスタイルは簡素化されて味気ない)
また髪型も素敵で、またウットリ。こういう女らしい服装や髪型は実に良い。
(こういう服装や髪型は大好き)1840〜1850代のファッション・プレートが一番好き。
アナイスって言う名前からイメージすると・・・(きっと美人と思いたい、そう信じたい)
どんな女性だったのか、とても知りたい。

また本書の元の所有者がどんな女性だったのか、とても知りたい。
マガザン・デ・ドモワゼルを訳せば、「お嬢様のお店」になるだろうか。
上流階級、或いはそれに準じたブルジョアの御令嬢の雑誌(月刊)である。
(この当時の女性の識字率は全体の5割程度)
読者層は十代半ばから遅くとも二十代半ば頃まで。
(二十代の半ばまでには殆どが結婚してしまう)
内容は道徳、歴史、科学、文学、美術、旅行、伝記、家政学、
モードの読み物。それに気晴らし、娯楽(レクレーション)として
「REBUS」という判じ物が毎号載っている。
これは(江戸錦絵に有る様な)判じ絵であって、
今の雑誌にもクロスワードパズルやクイズが載っているのと同様に
言わば一寸したお遊びである。
(サロンでお友達と一緒に当てっこでもしていたのだろうか)

これらのファッション・プレートに描かれている様に、
お友達との楽しいおしゃべりは女性の大きな楽しみである。
(それは今でも変わらない)
地方在住者も、これを見て、今、パリで流行している服装や
オペラや文学等の話や社交界の醜聞や噂話をする。

上流階級やブルジョア達は、子息、令嬢には最高の教育をする。
これらの御令嬢は「(1)本当の意味のお嬢様」であって、
教育も最高の教育を受けている。
礼儀、教養、立ち振る舞い、ダンス、言葉使い等社交界で通用する様に、
それに良い縁談が出来るように躾けられている。
貧乏貴族は(爵位は無いが)金持ちのブルジョアとの縁談を望み、
ブルジョアは爵位を持っていないからこそ、爵位を持った(貧乏)貴族を狙う・・・。
お互いの利益が一致しているわけだ。
ブルジョアや貴族はこうやって既得権や財産を持続させる。
いくら貴族でも金が無ければ、家の存続も出来ない。
ブルジョアはブルジョアで、金は有るけど、名誉も権力もない、
だから爵位が欲しい。金と爵位があれば、無敵である。
(それはどこの国でもどんな時代でも同じ)
令嬢のお友達は、同じ階層の令嬢である。
そんな同じような階層の令嬢達が、このような雑誌に載っている話題、
それは社交界の噂だったり、文学やオペラの話だったり、
或いは舞踏会で見つけた貴族やブルジョアの青年の話
(今で言えばコイバナ)を自宅のサロンで(自分専属の)
メイドに持ってこさせた紅茶やコーヒーを飲み、談笑する。
この当時、上流階級やブルジョアのみならず、
中産階級以上の家庭でも、当然メイドを雇っていた。
日本人が言う、(或いは思いこんでいる)中産階級とは根本から異なる。

なお、日本でもこの様なファッション・プレートが
古書店やアンティークショップ、版画ショップ等で(勿論日本価格で)売られているが、
表記や説明に間違いが見られ、また画家の名さえも記していないものが
多々見受けられる。プロならば、その辺をちゃんと表記して欲しい。
ただの趣味、ただの素人ならまだしも、それによって、
対価を得、生業を成すプロならば、その辺をしっかりして欲しい。
初版表記だけにうつつをぬかすのでは無く、
基本的な情報をきちんと表記すべきである。
欧米では、日本よりは、大体の場合において、その辺はきちんとしている。
あと思うのは、洋古書を扱う、日本の古書店の話だが、
フランスの古書の詳細を記すのに、英語でわざわざ表記する店が多い。
(もしかして購入した時の書誌の丸写しか)
フランスの古書説明に、日本語でも無く、フランス語でも無く
第三者言語の英語で、わざわざ書くならば、
フランス語の表記か、そのまま、いさぎよく日本語で記して欲しい。
(英語圏の人間はわざわざ日本で(それも日本価格では)買わないと思うが)
(昔、我が父は首相になる人物をこの様に評した事がある・・・。
出来て当たり前、出来ないから叩かれる。だから誰も首相をやりたがらない)

首相と言えば、最近、麻生が叩かれているが、私は何とも思わない。
彼がカップラーメンの値段を知らなくて当たり前だし、
ホテルのバー等で散財しても当たり前、何故ならば彼は庶民ではない。
これを豪遊と表する者がいるが、彼は庶民とは収入も、また経済基盤も
レベルが違うので、彼レベルの者にとっては豪遊ですらない。
日本で通常の自動販売機で缶コーヒーを買えば120円である。
普通120円は大金とは思わない。
しかし世界の国々の中では日給120円以下の労働者は珍しく無い存在だ。
彼を庶民と同一の目で見るから(麻生財閥の一員である)麻生を叩くのだろう。
彼は政治をやっていればいいのであって、
その政治にはカップラーメンの価格の知識はなんざ必要無いし、重要な事では無い。
漢字の知識が無くとも、別に彼が知らなくとも、彼は誰かに命じやらせれば、
それで済むことである。それは帝王学を学んだ者には当然の事である。
麻生のみならず、エリートや資本家、お大尽を祖に持つ、
世襲議員達は一般市民でも庶民でも決して無い。
彼らはブルジョアであり、上流階級の人間だ。
そういう人間に庶民の感覚を求め、同一して語る事こそ滑稽である。
(彼らには、彼らの流儀、処世術があり、それらは庶民と同一では無い)
その癖、華族や皇族に対しては、庶民と同一視しない。
しかし彼らを(ブルジョア・上流階級の人間を)何らかの区別するならば
華族や皇族と同じカテゴリーに属する存在である。

(1)何故、「本当の意味のお嬢様」と書いたかは、
マスコミ等が持て囃す、お嬢様とは根底から異なるからだ。
20年程前に日本で「お嬢様ブーム」等と言う滑稽な現象が起きたが、
マスコミが、或いは多くの日本人が思う様な、
お嬢様と(本書の)読者層とは全く別物である。
(「女性の品格」なる、滑稽かつ変な本がベストセラーになってしまう日本って・・・)
タダの石をどんなに磨いてもダイヤにはならない。0をいくら足しても所詮は0。
それにしても、あんな妙な、ベストセラー本は一体誰が買っているんだろう。
あんな本を買ったり、読んだりなんて、罰ゲームレベルだろう。

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2008年12月07日

洋古書 マルティ挿絵 『ダフニスとクロエの田園恋物語』

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今回はロンゴス著マルティ挿絵
『ダフニスとクロエの田園恋物語』を紹介。
(私のお気に入りの一冊である)
Paris, Chamontinから1934年刊行。
総モロッコ革モザイク装。比類無き、完璧なる極美本。
(保存状態は完璧、欠点無し新品同然)
上質のモロッコ革に、モザイク装飾、天金装飾、
凝った手編み花切が美しい一冊。
フランス語圏における、(極限まで高められた)
装丁芸術の美しさをそこに見る。
(装丁の色使いとデザインは日本人には思いつかない。
この感覚こそが欧州人特有のもので、そこに異国を強く感じる)
フランス語圏では装丁芸術は今でも生き続けている。
欧米諸国以外では日本だけが卓越し、
多くの賞を日本の装丁家は受賞し続けている。

ちなみに、本書が刊行された年の3月、溥儀が満洲国皇帝となり、
8月には、ドイツでヒトラー政権が誕生した。

*最後の写真=本の箱を自作してみた。

栃折久美子著「モロッコ革の本」(抜粋)にはこういう記述がある。

「本のケースを、大きすぎず、かといって振っても出てこないなどということが
ないようにつくることがどんなにむずかしいか。一点制作のルリユールより
はるかに許容範囲が広い量産本の場合でも、ちょうどいい大きさのケースは
めったに見られないほどだ。これまでにしてきたブック・デザインの仕事を
通して、このことを身をもって知っている。先生がケースを背に下にして机の上に立て、
口元に本を持って手を放すと、本は何秒かかかって静かに入ってゆき、最後に
ことりと音を立ててケースの中に収まった。それを手に持つと、斜めに傾けるだけで
本が出てくる。その仕事の厳密さ、精度さに私は驚嘆した。」

私はフランスの装丁を知るまで、本の箱というのは、堅くて、揺すっても
なかなか出てこないのが普通だと思っていた。それは大きな間違いであった。
栃折久美子が書いているように、一点制作のルリユールの箱というのは
そっと静かに出、静かにそっと入っていく。
それは見ていても飽きないほど素晴らしい。まるで魔法の様だ。
それをフランスでルリユールされた、(箱付きの)挿絵本を買い、
実際に手にとって初めて判ったことであった。
それまで本の箱というのは、窮屈なのが普通だと思っていた。
日本の製本は本当に酷い。特に箱が酷い。
まあ工業製本、ただの大量生産品、
機械製本でしかないので、そこまで求めるのは所詮無理か。
日本の機械製本にたずさわる人は、本物の箱を見たことがあるのだろうか?
まるでフランス料理を見た事もない、食べたことない奴が
フランス料理を作るようなもの。
それで本物の本の箱が作れるはずもないではないか。

今回、私が自作した箱は、(きつくなく、ゆるくなく)
そっと入り、そっと出る箱である。(設計には時間を要した)
内張には革を傷つけない様に、フェルトを貼った。
またフランスのルリユールの箱に習い、
入り口は狭く作り、言わば卵型みたいな形状にしてある。
日本の箱は、本を保護するどころか、逆に本を傷つける。
それほど日本の本の箱は固く、きつい。
日本の箱は、(栃折久美子が言った、30年以上前から)何一つ進歩もなく、
悪い点を改良もせず、何の努力も知恵も無く、問題を放棄したままだ。
まあ、機械製本なので、それが限界なのだろうか。
(それに、確かにコストは大きな問題だろう)
しかし、それでは本への愛情は全く感じられない。
本を愛しない者が本を作る。是ほど悲しいものはないだろう。
日本の悪い点として、非適材適所がある。(旧日本軍の例がもっともだ)

ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第2組曲ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第2組曲
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[タイトル] ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第2組曲
[アーティスト] マゼール(ロリン)
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2008年02月02日

洋古書 アラステア挿絵 『サロメ』(1922)237冊目

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今回はオスカー・ワイルド著アラステア挿絵『サロメ』を紹介する。
Paris, Les Editions G. Cres et Cieから1922年刊行。
(1922年が刊行初年)
背モロッコ革装。duodecimo.天金。極美本。
(遅くとも1930年代までに装丁されたと思われる)
装飾紙とモロッコ革が見事な調和を見せている。
背の部分がデコ調で美しい。
洋書には珍しい事に、本書には栞(Signet)が付属している。
装丁を依頼する場合、栞までは頼まない事が多い為、
栞まで付属している、洋古書を見る事はそうは多くない。
写真では判りにくいが、本書に付属している栞は、
赤色のグラディーションになっている。
(フランス古書においては、様々な色合いの栞を見る事が有る)

パリ滞在中に、『サロメ』はフランス語で書かれたが、
(ワイルドはフランス語が母国語では無い為に)
比較的簡単な、フランス語で書かれている。
フランス語を学ぶ為のテキストとして使用される事は無いが、
フランス語の初心者であっても、読みこなす事は充分可能である。

『サロメ』は、ビアズリーによる挿絵が(有名過ぎる程に)有名であるが、
このアラステアの挿絵の方が私は好きである。
アラステアは多くの挿絵を描いたが、このサロメが一番有名だろう。
それにしても、極めて独特な画風である。
アラステアの挿絵はとても現代的であり、
斬新であり、古さは全く感じられない。
アラステア(Baron Hans Henning von Voigt1887-1969)という人物に
私はとても興味を持った。きっとセンスが良い人物だったのだろう。
TVや雑誌等もビアズリーばかりを取り上げるが、
アラステアも取り上げて欲しいものだ。
(しかし期待するだけ徒労かも知れない)

アラステアのサロメ(或いはビアズリーのサロメ)は怖すぎる。
美しいとはとても思えないし、そこまで男を虜にしそうにもない。
虫も殺せそうにも無い、純真かつ健気で、美しく可愛らしい娘に
描いた方が(より一層残酷さ、無残さを引き立ち)凄みが増すだろう。
アラステアは1920年代に描かれた、退廃的な絵という事で、
これを高く評価したい。
オシャレで洗練されており、現代に通じる絵柄である。

アラステアの挿絵もインパクトがあるが、
この物語自体も大変インパクトがある。
特にラストシーンは圧巻である。
福田恒存訳『サロメ』(岩波文庫)から抜粋。

サロメの声
「あゝ!あたしはたうとうお前の口に*口づけしたよ、
ヨカナーン、お前の口に口づけしたよ。
お前の唇はにがい味がする。
血の味なのかい、これは?・・・・・・
いゝえ、さうではなうて、たぶんそれは恋の味なのだよ。(略)」

うーん、翻訳だから、そう思えるのかも知れないが、
もっと可愛いらしくあって欲しい。
この翻訳を読むと蓮っ葉なイメージしか浮かんでこない。
私にとって、サロメのイメージは、可愛い、美しい、
だから男を虜にする・・・。

日本語は人物の言葉使いで、どんな人物なのかを有る程度、
推測出来る様になっている。
小説等では、人物を表す記号(役割語)になっている。


〜じゃ=老人
(語尾に)〜わ=女。
アタイ=蓮っ葉、不良娘。
〜しただ。(オラはそこでUFOを見た等・・・)=田舎者。
他に、TV等で見るオカマキャラは、大抵は女言葉を使う・・・。
この様に、日本語では(人物を推測出来る)
或いは表す様になっているが、外国ではどうなのだろうか?
(やはり使用する言葉の選択や発音なのだろうか?)
英語圏では?
フランス語圏では?
ドイツ語圏では?
これはいつも疑問に思う事である。
これは日本語だけの特徴なのであろうか。

近年、退廃的図柄は食傷気味である。
退廃よりも男の五感をモロに刺激する様なエロスを好む。
一言で言えば、肉感であり、豊満である。

*キスは情交よりも甘美かも知れない。
いや、きっとそうに違いない。

サロメ (岩波文庫)サロメ (岩波文庫)
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[タイトル] サロメ (岩波文庫)
[著者] ワイルド
[種類] 文庫
[発売日] 2000-05
[出版社] 岩波書店

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2006年04月22日

洋古書16 REGNIER著 『L'ESCAPADE』169冊目

escapade01a.JPG

今回はREGNIER著 George Barbier挿絵
『L'ESCAPADE』を紹介する。
限定1000部。総モロッコ赤革(Janseniste)装。天金。
Paris, A.& G. Mornayより1931年に刊行。
装丁家A.Ceruttiの刻印有り。
装丁家(兼金箔押し職人)のAntoinette Ceruttiだと思われる。
ちなみに購入した古書は、極美本であり、
綺麗にデザインされた、装丁家作の箱(刻印有)が付属している。
装丁家作の箱付きの本は稀と言っても良いであろう。
Janseniste装なので、余分な装飾は無いが、
本と箱、共に美しく、素晴らしい(装丁)作品に仕上がっている。
Barbierによる、Pochoirの彩色が美しく、目を楽しませる一冊。
本書のPochoirは、刷り上った、
当時の鮮やかな彩色を忠実に今に伝えている。
この本の刊行の翌年にBarbierは没した。
本書は晩年の作品である。
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2005年10月09日

洋古書08 Bayros作『Im Garten der Aphrodite』103冊目

BayrosGartenderAphrodite02a.JPG

今回はFranz von Bayros(バイロス)作『Im Garten der Aphrodite』
(アフロディテの苑)を紹介する。
石版画18葉、それに内容を記したボードが付属している。
限定350部。布装洋帙入。
この作品は私的出版であり、
出版社名、刊行年、刊行地の記載は無い。

本書の刊行時期についての考察は、19世紀末か、20世紀初頭に
ミュンヘンか、ウィーンのいずれかの地で刊行されたものだと思われる。
昭和初期に梅原北明により、この『Im Garten der Aphrodite』が
日本に輸入された話も有るので、この事を鑑み、本書の刊行時期は、
20世紀の初めと考えるのが妥当な気もする。

本書は、秘密裏に頒布された地下本で、
好事家やバイロスの愛好家の為に作られたものである。
バイロスは、(ビアズリーと同傾向な作家で有ると言えると思うが)
ビアズリーほど美術的には評価されていないのが残念である。
また、蒐集家によって、秘蔵された作品が多い為なのか、
世間の知名度はいまひとつである。
また画集も非常に数が少ない。
バイロスの作品は膨大な数の蔵書票と
本書の様な秘密裏に刊行された限定本ばかりの為、
全容を把握するのは大変困難である。
バイロスというのは、アール・ヌーヴォとロココ調を融合させ、
極めて繊細で優美な絵を描く画家だと思う。

*本書『Im Garten der Aphrodite』についてはバイロス画集の内、
一番詳細不明な本であり、今後の研究が待たれるところである。
しかし、日本有数のバイロス研究家、バイロス蒐集家の山本芳樹氏が
物故した今、謎は解明される事は無い様な気がする。
また美術史において、バイロスは無いもの同然の扱いを受けているので、
今のところは、これ以上の研究成果は期待出来ないという気がするのである。
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